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著名投資家のウォーレン・バフェット氏はカルト的な崇拝の対象になっている。投資会社バークシャー・ハザウェイ(BRKa.N)の会長を務める86歳のバフェット氏は、膨大な投資リターンと処世訓、そして米国を応援し続ける姿勢によって尊敬を集めてきた。

だが、このオマハの賢人は、称賛と同じ程度に批判の対象ともなるべき人物だ。


歳月を経て、バフェット氏の輝かしい名声に少し陰りが出ている。2つの理由から、それも無理からぬ話だろう。

第1に、バークシャー時価総額は4200億ドル(約47兆9300億円)まで膨らんでいるが、これに匹敵するほど印象的な投資リターンを維持する能力がないのは、どれほどユーモアたっぷりに自嘲してみせても隠せるものではない。

バフェット氏を中心とする小人数のチームは依然として優秀かもしれないが、彼らの奇跡の日々は終わっている。

2002年の時点で、バークシャー普通株の総利回りは、過去10年間にわたって年20%だった。S&P500に比べて10.6ポイントも高い、驚くべき数字だ。ただ2016年には、その差は1.3ポイントまで縮んだ。アクティブ運用するファンドマネジャーの大半に比べてはるかによい数字だが、バフェット氏の言葉を神のお告げのように扱うには十分ではない。

第2に、投資リターンが低下する一方で、バフェット氏の偽善ぶりは増大している。彼はデリバティブ商品を「金融市場の大量破壊兵器」と呼んでいるにもかかわらず、自身はデリバティブ市場での取引を続けている。

もっと重大なのは、バークシャーが株式の27%を保有する米食品大手クラフト・ハインツ(KHC.O)のブラジル人経営者たちの焼き畑的な経営スタイルを支持していることだ。これは、長期的な視点で投資する慎重な経営者を支援するという、バークシャーが築いた長年の評判を裏切るものだ。

ただ「バフェット信仰」の最大の問題は今に始まったことではない。そもそもの最初から、彼の関心は市場を上回る投資成績をあげることに集中しており、経済にはほとんど貢献していない。金融資本主義にとってはお粗末なモデルなのだ。

金融がなぜ経済の役に立つのかをエコノミストが説明しようとする場合、彼らが強調するのは、新規資本の重要性だ。企業は新製品開発や新工場建設、あるいは新規サービス提供のために、銀行から融資された、あるいは株主が投資した資金を使うことができる。投資の主要な源泉は既存事業からの留保利益だが、金融システムは、これを補完する重要な役割を果たすとされている。

こうした説明において金融に好意的なエコノミストが対処しなければならないのは、金融市場における活動の大半は、新たな生産資本の調達にはほとんど役に立っていないという不都合な現実である。特に確立された企業の株式をめぐる取引は、経済全体にとって新たな、もしくは価値のあるものを何一つ生み出すことはない。

こうした活動は実際、投資家にとって流動性を提供しており、簡単に株を売却できるなら、ひょっとしたら投資家はもっと多くの資本を提供する気になるかもしれない。あるいは、経営陣にプレッシャーをかける外部投資家の存在は、若干の価値があるのかもしれない。

だがこれらは、ゼロサム・ゲームを称賛する理由としては、いかにも根拠薄弱である。ある投資家が市場を1ポイント上回れば、誰か別の投資家が同じ1ポイントだけ下回ってしまう。経済にとって、これでは差し引きゼロである。

バフェット氏が非常に巧みにやってきたのは、まさにこのようなゲームだ。同氏は株主向けの最新の書簡のなかで、バークシャーが株式を永遠に保有し続ける意図をもっているというのは誤解であるとして、これを一掃しようと試みているものの、彼の投資戦術は、安値で買った株を大半の場合は保有し続けるというものだ。

バフェット氏はこれまでうまくチャンスを見つけてきたし、恐らく今でもそれは変わらない。だが、同氏にとっての相対的な利益は、必然的に他の投資家の相対的な損失なのである。

バフェット氏の名誉のために言っておくならば、彼はバークシャー保有・支援する企業に圧力をかけて、可能な限り利益を搾り取るような真似はしてこなかった。同氏の不干渉主義のおかげで、他のプライベートエクイティ会社が容認する水準以上の比率で利益を投資に回すことのできた企業もあったかもしれない。

バフェット氏は25日に送付した公式書簡のなかで、バークシャーは「ドルベースの留保利益では米国企業のなかで首位」であると自慢している。昨年、彼の企業グループは約130億ドルもの資金を企業の設備投資に投じているが、それでも2015年に比べて5分の1近く減っている。

だが、バフェット氏が好むタイプの企業は、社会経済構造に恩恵をもたらすのと同じくらい、害悪をもたらす可能性がある。彼が好む企業は、価格決定力があるか、緩やかな規制のもとに置かれており、急速に変化するテクノロジーや移ろいやすい関心といった大きなリスクを取る必要のない企業である。つまり、彼が好むのは、非効率な市場で活動する効率的な企業なのだ。

その典型的な例が、クラフト・ハインツバークシャーの手厚い支援のもとで進めたものの失敗に終わった、英蘭系日用品大手ユニリーバ(ULVR.L) (UNc.AS)買収の一件である。

買収に名乗りを上げたクラフト・ハインツは、買収価格を大幅に上回るコスト削減を予定していた。ユニリーバ―が慎重に築いてきた「開発途上国に優しく健康的な生活を支える企業」というイメージを、仮にクラフト・ハインツ側が維持したいと思っていたとしても、利益の最大の部分は投資家のポケットに入ることになっただろう。顧客は、優先リストの最下部に追いやられていくことになったはずだ。

バークシャーも、ときには新規資本を提供してきた。特にそれが顕著だったのは金融危機の時期だ。同社はゴールドマン・サックス(GS.N)や、ゼネラル・エレクトリック(GE)(GE.N)、バンク・オブ・アメリカ(BAC.N)から、法外ではないにせよ、非常に有利な条件を引き出した。

だが、後になって巨額の利益が得られたのは、米連邦準備理事会(FRB)と米国の納税者が、金融システムを自壊から救うために渋々ながら資金を出したからである。バフェット氏は米国の「経済ダイナミズム」を「奇跡的」と表現するが、彼自身は英雄的に振る舞うというよりは暴利を貪っているようにも見える。

投資家のあいだでの「バフェット信仰」は、彼が経済を支えているからではなく、市場との勝負に勝っているということに基づいている。

投資の社会的重要性が、たとえばサッカーと大差ないのであれば、こうした熱狂にも害はあるまい。しかし昨今では、成長の促進よりも内部関係者の富の蓄積に貢献するようなシステムに対して、ポピュリスト的な怒りが高まっている。もはやゲームを楽しんでいるときではない。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170303#1488537956
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170227#1488192743