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2025(R7).10.26(日)

10月26日「三不幸」

伊川(いせん)先生言う、人、三不幸あり。少年にして高科に登る、一不孝なり。父兄の勢に席(よって美官となる、ニ不孝なり。高才有って文章を能くす、三不幸なり。(『伊川文集』)

年の若いのにどんどん上へあがる。世の中はこんなものだと思ったら大間違いである。というのは修練というものを欠いてしまうことになるからで、これは不幸である。これは官ばかりではない。親のお陰で若輩が重役になったりする、みな同じことである。またいろいろのすぐれた才能があって、文章を能くする、―― 文は飾る、表わすということで、つまり弁が立ったり、文才があったりして表現が上手なこと ――
これも大きな不幸である。

今日は選手万能の時代で野球とか、歌舞とか、若くてできる者にわいわい騒ぐ。これは当人にとって、大きな不幸であります。
若くてちょっと小説を二つ三つ書くと、たちまち流行作家になって大威張りする。小娘がちょっと歌や踊りができると、やれテレビだ映画だ、と引っ張り出して誇大に宣伝する。つまらない雑誌や新聞がそれをまたデカデカと報道する。変態現象と言うか、実に面妖なことで、決して喜ばしい現象ではない。

學は己の為にす
己を為むるは安心立命を旨とす
志は経世済民に存す
志しを遂ぐるは學に依る
學に依って徳を成し材を達す
正徳達材を立命とす
(東洋の心)

我々は何の為に学を欲してやまぬか。
…何の為でもない。学ばなければならないから学ぶのだ。学ばずに居られないから学ぶのだ。
この我が造化の明徳が弥(いや)が上にも光明に雄偉に崇高にならなければならないのは絶対的な命だ。是の如き命を割れは本分(性)とするのだ。
この本分に率(したが)うのが道、この道を開拓するのが学問の本義だと。
(『郷研清話』)

学はあくまでも己の為にするにある。
その己は名利の己とは違う。純粋自己である。
(『東洋の心』)

百朝集その56.六知

静坐して然る後平日の気浮けるを知る。
黙を守りて然る後平日の言躁しきを知る。
事を省いて然る後平日の心忙しきを知る。
戸を閉ざして然る後平日の交濫りなるを知る。
欲を寡くして然る後平日の病多きを知る。
情に近づきて然る後平日の念刻なるを知る。
(金 蘭生『格言聯壁』)

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