https://d1021.hatenadiary.jp
http://d1021.hatenablog.com

2025(R7).11.8(土)

11月8日「背中が語る①」

儒は濡である。思想とか学問が単なる知識や趣味に止まらずに、身につく、体になることだ。孟子のいわゆる「面に見(あらわ)れ、背に盎(あふ)る」に至って、学問は真にその人の性命になる。
人間は面より背の方が大事だ。徳や力というものは先ず面に現われるが、それが背中、つまり後姿…肩背に盎れるようになってこそ本物といえる。後光がさすというが、前光よりは後光である。

「心眼活学」

学問というものは現実から遊離したものは駄目であって、
どうしても自分の身につけて、足が地を離れぬように、
その学問、その思想をもって自分の性格を作り、
これを自分の環境に及ぼしてゆくという
実践性がなければ活学ではない。
われわれは今後本当に人間を作り、家庭を作り、
社会を作る上に役立つ生命のある思想学問を興(おこ)し、
これを政治経済百般に適用してゆかなければならない。
いわゆる実学、活学をやらなければならない。
人間学のすすめ)

朝集その69.窮民

淵源(えんげん)養ふところなく
精と神とを涸渇す
何ぞ必ずしも道路に餓ゑて、
然る後窮民といはん。
(石田東陵)

d1021.hatenadiary.jp