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2025(R7).9.11(木)

9月11日「楽しむ」

論語』に曰く「之(これ)を知る者は 之を好む者に如(し)かず。之を好む者は 之を楽しむ者に如かず」と。知ることのみでは、本来余り価値がない。これに対して、好むことは、対象を自分の情緒の中に入れることであって、身になる。更(さら)に深く理性や潜在意識の働きが加わると、これを”楽しむ”という。
全ては楽しむという境地に到って、初めて渾然として具体化してくる。つまり人間そのもの、生活そのもの、行動そのものになるからだ。学問もこの境地に達してこそ本物である。

「知識・見識・胆識」

この人生、人間生活とはどういうものであるか、或いはどういう風に生くべきであるか。
というような思慮・分別・判断というようなものは、単なる知識では出て来ない。
そういう識を「見識」という。
しかし如何に見識があっても、実行力、判断力がなければ何にもならない。
その見識を具体化させる識のことを「胆識」と申します。
けれども見識というものは、本当の学問、先哲・先賢の学問をしないと、出て来ない。
更にそれを実際生活の場において練らなければ、胆識にはなりません。
(干支新話)

百朝集その11.改過

過は心に由つて造り、亦心に由つて改む。毒樹を斬るが如く、直ちにその根を断つべし。
奚ぞ必ずしも枝々にして伐り、葉々にして摘まんや。
(袁 了凡)

「誠にそうでなければ小廉曲謹(しょうれんきょくきん)になってしまって、気宇が小さくなる。日本の国民も、こせこせ敗戦の原因を唯物的にほじくっていても助かるまい。誰か特に政治家に日本人の気持ちを転換させて大きな光明を見出させるような大理想家が出ないものか。暴露の競争、責任のなすりあいではどうにもならぬ。」

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