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2025(R7).8.11(月・山の日)

8月11日「識・見識・胆識」

いつも申しますように、識にもいろいろあって、単なる大脳皮質の作用に過ぎぬ薄っぺらな識は「知識」と言って、これは本を読むだけでも、
学校へのらりくらり行っておるだけでも、出来る。

しかしこの人生、人間生活とはどういうものであるか、或はどういう風に生くべきであるか、というような思慮・分別・判断というようなものは、単なる知識では出て来ない。そういう識を「見識」という。

しかし如何に見識があっても、実行力、断行力がなければ何にもならない。その見識を具体化させる識のことを「胆識」と申します。
けれども見識というものは、本当に学問、先哲・先賢の学問をしないと、出て来ない。更にそれを実際生活の場に於いて練らなければ、胆識になりません。

今、名士と言われる人達は、みな知識人なのだけれども、どうも見識を持った人が少ない。
また見識を持った人は時折りあるが、胆識の士に至ってはまことに寥々たるものです。
これが現代日本の大きな悩みの一つであります。

正誼明道

仁人は其の誼を正して
其の利を謀らず
其の道を明らかにして
其の功を計らず
董仲舒

誼とは言葉の宜しきを得ることで、道義の義に通ずる語であります。
…決して利というものを問題にしないとか、
功というものを抹殺するという意味ではない。
正誼・明道と功利のどちらを主眼にするかということであります。
普通の人間は功利を主眼にするが、仁人はその逆で、
正誼・明道を建前にして、その結果どういう利益があるか、
というようなことは自然の結論にまかす。
(『大学と小学』)

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